●沖縄本島中部の米軍普天間基地近くに、沖縄の音楽ファンたちが夜な夜な集まる公民館チックなバー「南国の夜」がある。そこでは夜ごと、歌謡曲からジャズ、R&B、ソウル、ロック、レゲエまで多様な音楽がDJやVJたちによってプレイされ、ディープかつ、ゆるい空気が流れている。
●1996年のある夜、カウンターに陣取る常連レコードマニアたちがいつものようにマスターとユンタク(おしゃべり)しているうち、「ふだん聞いているレコード音源をナマで聞くことができないか?」との話になり、自分たちで演奏してみようということになった。そうしてマスターがカウンター越しに声をかけて、1996年12月に結成されたのが「南国ドロップス」だ。



●賛同する者すべてが参加したので、結成当初からボーカル、キーボード、ギター、リズム隊、ホーンセクションで10人を越える大所帯バンド。その後メンバーの入れ替わりはあったものの、現在もリーダー&「南国の夜」マスターでもある與古田忠を中心に10人のメンバーで活動している。
●バンド名の「南国」はもちろん「南国の夜」から。「ドロップス」はいろんな個性、いろんな音楽趣味をもつ面々が集まって一緒に音を出す感じを、カラフルな色のあめ玉が詰まっているキャンデー缶のイメージに託した。その缶からどんな色の音の玉が出てくるのか? それがお楽しみ!



●バンドの結成理由からも明らかなように、結成当初は自分たちの大好きな楽曲のカバーを、自分たちの好きなアレンジで自由に演奏するのがバンドのスタイル。「Tighten Up」などファンキーな曲、大貫妙子らの聞かせるジャパニーズポップス、ハービー・ハンコックらの踊れるジャズなど、ジャンルにとらわれることなく、南国流に昇華したエキゾチック・ミュージックを聴かせてきた。
●レゲエをやりたいと言って始めた曲がやっているうちにボッサに変わっていたり、アシッドジャズ目指して演奏するものの歌謡曲になってしまったり、バンドという生き物の生理感覚に委ねた変幻自在な音作りが持ち味だ




●結成数年後から次第にオリジナル曲も交えるようになり、ここ数年はむしろその比重をオリジナル曲に移しつつある。しかし、「JAZZというよりもJAZZYな、FUNKというよりもFUNKYな」感じでドロップスなエッセンスを散りばめ、「カラダが横に揺れる! 自然と脇が上がる!」ダンスミュージックを追求してきたバンドの姿勢は、10年を経て変わることがなく、むしろ、ますますそのオリジナリティに磨きがかかっている。
●インディーズシーンには珍しく、ドロップスのファンは日頃ライブハウスに足を運ばない人が多い。みんな、クラブでレコードを聴いて踊る、その感覚の延長線上で彼らのファンになっていく。外国人たちのファンも多く、ドロップスファンはおしゃれで美人率が高い、との定評もある。



●実力派プレイヤーや沖縄サブカルチャーシーンの中心人物たちがメンバーに顔をそろえたバンドは、ホームグラウンド「南国の夜」での初ライブ直後から話題を集め、1997年のヒューマンステージ(宜野湾市)での初ソロライブでは、いきなり200人を越す動員で満員御礼を出した。
●その後も沖縄の数々の音楽イベントに出演。2000年の具志川市民芸術劇場のこけらおとしライブで佐渡山豊、モンゴル800らとステージを飾った他、Rocking Time、Ska Flames、Black Bottom BlassBandら東京の有名バンドとも対バンし、2004年のモータウン50周年記念イベント(@那覇・ピンクサロン)ではスチャダラパー兄とも共演する。



●そのライブパフォーマンスも型破り。9・11テロの影響で沖縄中が騒然とする時、アメリカ国歌を演奏して物議をかもしたり、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した年の沖国大学園祭でヘリの着ぐるみを用意したり…。会場の片づけがてら、観客自身に座っているイスを運ばせ、会場をオールスタンディングに変えて踊らせたこともある。興が乗れば火吹きパフォーマンスも見られる。
●折からの沖縄バンドブームの中、沖縄県内の音楽関係者やマスメディアのみならず、東京の音楽業界からも注目され、CDデビューを期待されるが、メンバーがみな社会人であることもあって独自の活動方針を貫き、いつしか「沖縄音楽シーンの隠しダマ」「幻のバンド」とも称されるようになった。沖縄から全国に発信されている月刊音楽雑誌「ハンズ」の表紙を飾りながら(2000年3月号)、CDを未発表の希有なバンドとしても伝説化しつつある。




●長くメインボーカリストだったのが、247musicからソロデビューし、沖縄オーガニックシンガーとして注目されている首里フジコ。ハナレグミのサポートでも知られる、シネマ・ダブ・モンクスの曽我大穂も元メンバーで、自ら「なかなか練習に行けずにいる、休業中のメンバー」とドロップスへの愛情を語る。月刊誌『Uruma』のアートディレクター・山田祥包や、D-51のバンドのドラマーであるヒロトも結成時からのメンバーだった。
●現在、バンドの活動には、D-51のバンドのベーシストの久保田真弘をはじめ、多くの沖縄の有名ミュージシャンや音楽関係者がアノニマス・サポーターとして協力している。また元ソニーミュージックやEPICソニー、ポニーキャニオンのA&Rマンで、スーパーカーやROVOなどのレーベル「dohbdiscs」の代表や、東川亜希子のプロデューサーとしても知られる三木孝浩、ベストセラー『空の名前』や宮崎あおい主演、元ちとせ主題歌で今年映画化された『初恋』の原作本を編集し、『恋ノウタ』などの著書の作家、宜野湾のカフェユニゾンのディレクターでもある三枝克之が、アドバイザーとしてプロデュースを手伝う。



●現在の10人のメンバーは、琉球大学のジャズ研究会OBたちやブラスバンド、クラシックの出身者などで構成され、バラエティに富んだ音楽センスで、かっこよく、味のある演奏を聴かせてくれる。いずれも日頃は、証券マン、公務員、広告ディレクター、看護師、パティシエなどの社会人で、夜になるとリーダーのバー「南国の夜」に集って、音楽を楽しむ。
●気取ったり気張ったりすることなく、あくまでも自分たちが音楽を楽しむために集まって演奏することを目的とする彼らの活動スタイル。それは、音楽が日常の暮らしにとけ込み、生きる喜びのひとつとして親しまれている沖縄ならではのものだ。そういう意味では、南国ドロップスは、琉球音階をいっさい使わなくとも、まさに沖縄らしい、トラディショナルなウチナーバンドなのだ。
●彼らが目指すのは、オジイやオバアになっても、今と変わらず音楽を楽しめるバンドであること。そんな彼らのライバルは、今年活動60周年の還暦を迎えた、石垣島の<白百合クラブ>。だから今回、結成10年にして初めてのCDを発売するのも、世間的には遅すぎるのだろうが、メンバーは、「ペースが早すぎないか?」と思
っているぐらいだ。




皆さん、はじめまして、ひもパン穿いても抱かれない、ドロップスキーボードの妻DJです! 私事で恐縮なのですが、「旦那は三度の飯よりも音楽が大好き、そしてその妻はHが好き・・・」
という2人が付き合い始めた頃に彼がドロップスのメンバーに加わったことで私のドロップスファンとしての生活もスタートしました。と書きつつ、傍らでは大好きなエミネムが流れているのですが・・・。
ドロップスファンとして、まだまだ日の浅い主婦DJですが、いつも私の側にはキーボードを弾く旦那と南国ドロップスの音楽、そしてメンバーがいました。
旦那が抱いてくれない夜に電話をかけると「DJの今日のパンツは?」と慰めてくれるリーダー、いつも新町に寄りたい気持ちを抑えながら旦那を家まで届けてくれるベーシスト、ライブ前に泥酔した旦那を叱りつつも家に泊めてくれたギター、初めて会ったのがラーメン屋だったドラマー、サロンカッソーで美味しいデザートをサービスしてくれるオーボエ吹きの女、その甘い声と豊満な肉体で世の男性を虜にしてしまいそうなボーカル、最近練習の成果が著しいピッチ君、私の楽器を借りて間接KISSしたサックス、そして何をおいても、私が愛人にしたいトロンボーン・・・。
そんなメンバーが作り出す音楽には、聞く人を楽しませ、
慰め、癒し、元気にしてくれるメッセージがいっぱい詰まっています。
そのメッセージを一人でも多くの人が感じてくれますように・・・。

南国ドロップスファンの主婦・DJ

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 「ドロップス、最高っす! CD、今すぐ出さなきゃダメっすよ!
オレ、もう待ってられないっすよ!!」

ますや食堂・ミーツー

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まさか売れるとは思いませんでした(笑)。
しかしドロップスが沖縄で1位になったのは、
沖縄リスナーの耳が肥えてるということで嬉しい!

FN沖縄・東風平朝成

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 沖縄に移り住む前、僕には島の音楽への南方幻想があった。ウタが生活に根ざし、ふつうのオジイたちが三線をてぃんくてぃんく弾く沖縄には、島唄の唄者だけでなく、そこから生まれた癒し系ポップスでもなく、かといってアメリカァなロックでも、今どきのストリートミュージックでもない、ボーダーレスな未知の南方音楽があるのではないか? そして凄腕の連中が島のどこかで夜な夜な演奏し、島人だけに極上の音楽を提供して遊んでいる、そんな音楽の秘境、パラダイスがあるのではないか?と・・・。
南国ドロップスの名は聞いていた。しかしCDはなく、なかなかライブの機会もなかった。そして島に住み始めてしばらく経った頃、やっと南国ドロップスのライブを見た時、彼らこそ探していたバンドだと思った。まるでキューバでブエナビスタ・ソシアル・クラブを、バルカンでタラフ・ドゥ・ハイドゥークスを見つけたような気分だった。
彼らの存在は、ティピカルになりがちなここ最近の沖縄音楽シーンに穏やかな波紋を広げ、本来の島の音楽のあり方の、失われつつある一片を埋めてくれるように思う。

三枝克之(作本家/カフェユニゾン・ディレクター)